防災士研修講座を聴講
- 2022/02/13
- 15:46
昨日今日と、地元杉並区を離れ、防災士研修講座を聴講。
私は17年前(2001年)の都議選に落選した後、阪神淡路大震災当時の内閣官房副長官だった石原信雄さんに拾われた。(念のため、石原慎太郎さんとは異なる。)
その石原信雄さんがリーダーとなって防災士制度を作り、現在(2022年)は全国で22万人を輩出するまでになった。
私は石原さんの子分として、3つの組織を立ち上げた。
特定非営利活動法人日本防災士機構の規約やカリキュラムや教本や試験問題を作った。
株式会社防災士研修センターを設立し(初代の)代表取締役となり、必死で受講生を集め、講師を依頼し、自分自身も講義をした。
防災士資格を取得した皆さまの協働団体である日本防災士会を作り、防災士の活躍の場面を作った。
合わせて、防災の勉強をするため、夜学の大学院にも通った。
若き日(33才〜36才)の懐かしい思い出だ。
私はその後、再び都議選に挑むため、防災士の3つの組織を卒業したが、「ミスター防災」の素地はこの4年間で構築された。
今回、現在の代表取締役である玉田太郎さんにお願いし、お手伝いを兼ねて特別聴講。
格段に洗練された研修運営に圧倒されるばかり。
実際、私が卒業してから防災士の数は激増したのだ。
災害列島ニッポン、激甚化する災害に備え、22万人の同志と協働したいと改めて決意。
お陰さまで、新しい知見も得られた。
写真は講師の中野明安弁護士と。
中野弁護士は、度々東京都庁にお越し頂き防災対策の法的相談に乗って頂いている同志。
「令和防災研究所の設立にあたって」(都政新報2019年5月28日号)

私は17年前(2001年)の都議選に落選した後、阪神淡路大震災当時の内閣官房副長官だった石原信雄さんに拾われた。(念のため、石原慎太郎さんとは異なる。)
その石原信雄さんがリーダーとなって防災士制度を作り、現在(2022年)は全国で22万人を輩出するまでになった。
私は石原さんの子分として、3つの組織を立ち上げた。
特定非営利活動法人日本防災士機構の規約やカリキュラムや教本や試験問題を作った。
株式会社防災士研修センターを設立し(初代の)代表取締役となり、必死で受講生を集め、講師を依頼し、自分自身も講義をした。
防災士資格を取得した皆さまの協働団体である日本防災士会を作り、防災士の活躍の場面を作った。
合わせて、防災の勉強をするため、夜学の大学院にも通った。
若き日(33才〜36才)の懐かしい思い出だ。
私はその後、再び都議選に挑むため、防災士の3つの組織を卒業したが、「ミスター防災」の素地はこの4年間で構築された。
今回、現在の代表取締役である玉田太郎さんにお願いし、お手伝いを兼ねて特別聴講。
格段に洗練された研修運営に圧倒されるばかり。
実際、私が卒業してから防災士の数は激増したのだ。
災害列島ニッポン、激甚化する災害に備え、22万人の同志と協働したいと改めて決意。
お陰さまで、新しい知見も得られた。
写真は講師の中野明安弁護士と。
中野弁護士は、度々東京都庁にお越し頂き防災対策の法的相談に乗って頂いている同志。
「令和防災研究所の設立にあたって」(都政新報2019年5月28日号)
